北京オリンピック2022のモーグル男子にて、杉本幸祐選手が日本勢最上位となる6位で準々決勝への進出が決まりましたね。
杉本幸祐選手はかつて代表入りを逃している選手ですので、そこから出場まで這い上がってきた精神も素晴らしいものがあります。
代表入りだけでなく、日本勢で最上位という快挙はすごいですよね…。
そんな杉本幸祐選手の快挙に注目が集まっていますが、幼少期はどのような環境で過ごしていたのでしょうか?
杉本幸祐選手の出身小学校や幼少期についてまとめています。
杉本幸祐の出身小学校は袋井市立袋井南小学校!
杉本幸祐選手の出身小学校は静岡県袋井市にある、袋井市立袋井南小学校です。
袋井市立袋井南小学校の公式ブログにも杉本幸祐選手が卒業生であることが書かれています。
今回の北京オリンピック出場に関しても応援の横断幕が掲げられているなど、学校側も杉本幸祐選手に対しての応援の熱を感じます。
その応援にこたえるかのような今回の快挙はすさまじいものがありますね…。
杉本幸祐は小学時代に野球とスキーを両立していた?
オリンピックで代表に選ばれるくらいの杉本幸祐選手ですので、小さい頃からモーグル一筋だったのではと思いがちです。
しかし、杉本幸祐選手は小学生時代、野球チームにも所属していました。
杉本幸祐選手が野球少年時代に所属していた野球チームが、杉本幸祐選手にエールを送っているニュース記事もありました。
4年時から3年間指導した鈴木宏和監督は「何事にも一生懸命取り組む姿勢がオリンピックにつながったと思う」と話した。当時、杉本は主に捕手としてプレー。打席で凡退すると、人一倍悔しがる負けん気の強さがあったという。同監督は「打てないとグッと唇をかんで、悔しがっている表情が印象的。常にうまくなりたいと向上心を持ってやっていた」と振り返った。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/cb5b0532c1a8e483770063118a03c68ca2d778de
野球少年時代の時から、すでに負けず嫌いな姿勢があったということですね。
その頃の悔しさが今の強さに繋がっているのかもしれません。
杉本幸祐選手がモーグルと出会ったのは、両親と毎週遊びに行っていたスキー場で、両親が滑る姿に憧れを抱いたことが始まりなんだそうです。
モーグルを始めるまでは野球の他にも水泳、空手、体操など、様々な習い事をこなすスポーツ少年でした。
ちなみに空手も黒帯を持っている実力です。
なんでもできる万能少年なので、モーグルの道でなくてもオリンピックに出ていたのかもしれませんね。
杉本幸祐がプロになるまでの生い立ち
結果として杉本幸祐選手は野球ではなくモーグルの道を選び、中学の頃にはモーグルのために引っ越しをします。
モーグルの練習場が近かった長野県大町市に移住し、仁科台中に通いながら本格的にプロの道へとのめり込んでいきました。
ただ、中1でモーグルを本格的に始めるのは“遅咲き”と言われているようで、人一倍努力をしてプロになったということになります。
当時、お父さんからは「努力を続けた人が天才」と言われていたそうですが、本当に継続することは大変だと思います。
今回モーグルで北京オリンピックの代表として選ばれた杉本幸祐選手は努力を続けた天才であることが証明されましたね~。
やっぱり負けず嫌いな姿勢が表れている気がしますね。
杉本幸祐選手はその後、松本大学の人間健康学部スポーツ健康学科に進学します。
大学までは練習も兼ねて片道30分をロードバイクで走っていたそうです。
もう限られた時間を最大限モーグルのために使っている感じがしますね。
そうした努力が積み重なって、今回の北京オリンピックでの成果に繋がっているようです。
今後の杉本幸祐選手の活躍にも期待です!