鈴木孝幸の生い立ちは育児放棄から始まった?育ての親は誰か調査!

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東京パラリンピックの競泳男子100メートル自由形で見事金メダルを獲得した鈴木孝幸選手。

鈴木孝幸選手は今回の大会がなんと5回目で、5回連続出場者でもあります。

そして鈴木孝幸選手の獲った金メダルは、今大会で日本勢では初となるので、とってもおめでたいですよね。

そんなパワフルな鈴木孝幸選手ですので、小さい頃から水泳の英才教育でもしていたのかなと調べてみたところ、衝撃の事実が分かりました。

鈴木孝幸選手の生い立ちについて調べたものをまとめています。

鈴木孝幸には育児放棄された過去がある?

鈴木孝幸選手は、生まれつき両脚と右ひじから先がなく、左の手先も不自由な状態でした。

そんな形で生まれてきたので、恐らくお母さんは相当ショックを受けて苦労したのだと思います。

以前、鈴木孝幸選手が特集された「自立へのストローク」という番組にて当時の様子が描かれていますが、鈴木孝幸選手には当時、両親がいたようなのです。

しかし、鈴木孝幸選手を育てられる覚悟が持てなかったのか、ご両親は“育児放棄”してしまいました。

鈴木孝幸選手のお母さんのお母さん(母方の祖母)は当時、保育園の園長先生をしており、鈴木孝幸選手はそのおばあちゃんのところに置き去りにされてしまいました。

おばあちゃんのところへ置き去りにされた鈴木孝幸選手は一体誰に育てられたのでしょうか…。

鈴木孝幸の育ての親は誰?

鈴木孝幸選手は、当時保育園の園長先生をしていたおばあちゃんによって育てられることになりました。

おばあちゃんの育児のテーマは“自立”だったようです。

そのテーマの現れとして、おばあちゃんの名前は小松洋さんと言いますが、鈴木孝幸選手を“養子”としてではなく、“里子”として名前を変えないで育てていたみたいです。

きっとおばあちゃんの中には「この子は鈴木孝幸として生まれてきた」という気持ちが強かったのでしょうかね。

おばあちゃんは、自分がこの世を去った後も鈴木孝幸選手が一人の人間としてしっかりと“自立”できるように、 あえて違う姓のまま育てたんだそうです。

そして鈴木孝幸選手に、水泳が一番自立心を育てるスポーツだということで水泳を習わせ始めたようです。

SMAPの草彅剛さんとの対談では、6歳頃だったとご本人が回答していました。

6歳くらいですね。最初は競泳目的ではなくて、水泳の授業のとき、プールで溺れないように習わせたそうです

引用元:https://number.bunshun.jp/articles/-/849553?page=3

それからというもの、鈴木孝幸選手は水泳にのめりこんでいきました。

そして推薦枠で早稲田大学に入り、もちろん大学では水泳部で、泳ぎに磨きをかけていきました。

鈴木孝幸選手はやがてオリンピックにまで出場するようになり、北京やロンドンパラリンピックでメダルを獲得するまでに成長します。

そんな鈴木孝幸選手に心打たれる人も多いようです。

一体なぜ鈴木孝幸選手は金メダルを目指したのでしょうか、なぜそこまで高みを目指すのでしょうか?

鈴木孝幸が金メダルを目指した理由

「自立へのストローク」という番組では、鈴木孝幸選手が北京パラリンピックで金メダルを獲得した時、「里親おばあちゃんに 恩返しの金メダルを」とテロップが出ていました。

ここまで育ててくれたおばあちゃんに対しての感謝の気持ちとして、金メダルを獲得したわけですね。

おばあちゃんの目標通り、十分自立心が育ったと言える鈴木孝幸選手ですが、それからも東京パラリンピックで金メダルを獲得するなど、 鈴木孝幸選手は高みを目指し続けています。

鈴木孝幸選手には、おばあちゃんだけでなくコーチや応援してくれる人の存在など、日頃支えてくれている人たちがいます。

その人たちにありがとうという想いを伝えるため、そして自分の限界を超えていくため、高みを目指しているのではないでしょうか。

ただ、今回の東京パラリンピックで引退も考えているようです。

僕も「パラリンピックは最後かな」と漠然と考えていました。今も技術面は伸びていると思いますけど、’24年のパリまで気力が持つかどうかわからなかったので。

引用元:https://number.bunshun.jp/articles/-/849553?page=3

気力次第、というところになりますが、6年以上もイギリスで暮らしているので、引退後はイギリスでゆっくりするのでしょうか…水泳で育んだ自立心は強いですね。

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